シリーズ第2弾は、宗教2世が悩みがちな人との距離感についての語りです!
人間関係について、つい真面目に考えすぎて悩んでいませんか?
なるはやお父さんは、よく私に「孤独になろうとしないで」と話してくれました。
ひとりでも平気だと思っている人や、相手との距離感をうまく保てなくて自分から傷付きにいってしまう人もいると思います。
そんなあなたに、今回のなるはやお父さんの沁み語りをおすすめします♪
なるはやお父さんの沁み語り②-1
人と繋がるのが怖いという人は沢山いそうだ。
確かに相手によっては何をしてくるかわからない。
今まで沢山傷付いて生きてきた人ほど、その不安が大きくなるのはわかる。
傷付く手前で離れる勇気。
壊す手前で倒れる優しさ。
不安定なものを愛と思わず、変化するものを愛でる。
ひとりでいないで。
なるはやお父さんの沁み語り②-2
宗教のみならず自分の過去の話や、それとの向き合い方。
また相手への打ち明け方、スタンスなど。
参考になる点、応用が効く点は多いのかなと。
わざわざ相手の恐怖を煽るような打ち明け方をしなくてもいいし。
一度に全部でなくていい。
どうしても見捨てられたり、裏切られる恐怖が不安になるのは間違いないし。
宗教2世は道徳観故に包み隠さず話すことが正直で穢れないと思いがちだけど。
やっぱり、段階的なものはあると思う。
いきなり生首見せられて喜ぶ人もいないので。
差別や偏見と向き合う時に、自らその傷を蔑ろにする必要は無い。
親が宗教だから、というワードを最初から出すより「親とはいい関係ではない」くらいに留めるとか。
宗教名は出さずに宗教であることを匂わすとか。
それを重ねていくうちに、最初から根掘り葉掘り聞くような人には興味本位だけなんだな、とか。
この人は結論を急いでいるなとか、相手の人間性が見えてくる。
これを最初から全部言ってしまうと、やはり受け入れられなかったときの反動も大きいと思う。
傷を隠す必要もないけど、最初から全部見せて、相手の戸惑いにわざわざ自分から傷付く必要も無い。
徐々に信頼関係を作る。
それって大事なことなのかなあと、今になったら思います。
すべてを理解してくれて、先回りして、あなたのことを思って動いてくれる人なんていない。
自分からどう社会に受け入れてもらうのか。
他人の受容枠にどうしたら入れてもらえるかを考えた方が、楽な気がします。
ありのままを受け入れろというのは、むしろ暴力的かと。
人と人なので。
どこかの部分で常に不完全であったりするのは避けられない。
誤解もあれば、六階もある。
そういうことかなと思います。
気にしないで次の階に上がること。
七階が無ければ、もうしょうがないのであって。
自分が悪いわけでも相手が悪いわけでも無いんです。
あとがき
なるはやお父さんは、X(旧Twitter)で色々なお話をしています!
長文好きでも、そうでなくても、ちょっと覗いてみてくださいね♪
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